海の見える二駅ぶん先の山
その山は、山というより「日常から半歩だけ浮かぶ場所」でした。
駅を降りて、商店街を抜けて、住宅街を曲がって、ゆるやかな坂を登ると着くような山です。標高なんて覚えていません。たぶん山自身も気にしていなかったと思います。
あの日は真昼間でした。
空は青くて、コンビニのガラスは眩しくて、私たちは登る前に駅前のコンビニへ寄りました。
弁当をひとつずつ買うつもりだったのに、気づけばおにぎりも買って、ポテトチップスも買って、チョコも買って、ラムネも買って、よく分からない期間限定のお菓子までカゴに入っていました。
友達は、
「山で食べるとカロリーは消えるから」
と言っていました。
そんなわけはありません。
でも、その日は少しだけ本当だった気がします。
坂道を登りながら、私たちはたくさん話しました。
何を話したのかは、ほとんど覚えていません。
学校のことだったかもしれないし、仕事のことだったかもしれないし、好きな映画の話だったかもしれません。
不思議なもので、人は大事な相手との会話ほど内容を忘れます。
代わりに、
笑ったこととか、
風の匂いとか、
ペットボトルの水の冷たさとか、
そういうものばかり残ります。
山頂に着くと、海が見えました。
大きな海ではありません。
遠くに青く横たわっているだけの海です。
私たちはベンチに座って、コンビニの袋をひっくり返しました。
おにぎり。
からあげ。
サンドイッチ。
ポテトチップス。
チョコレート。
ラムネ。
明らかに買いすぎです。
山頂の風はそれを見て少し笑っていたと思います。
ポテトチップスの袋は何度も飛ばされそうになって、そのたびに二人で押さえました。
海は遠くで光っていました。
キラキラというより、のんびりでした。
まるで海まで休日を取っているみたいでした。
友達は景色を見ながら何か言っていました。
たぶん面白いことです。
私は笑っていました。
それだけは覚えています。
人生には、「そのときは特別だと思わなかった特別」があります。
たぶんあの日もそうでした。
未来のどこかで思い出になるために、普通の顔をしていた一日です。
今はもう、その友達とは連絡を取っていません。
喧嘩をしたわけではありません。
何か大きな事件があったわけでもありません。
ただ、お互いの人生が少しずつ違う方向へ歩いていって、気づけば最後のメッセージの日付が遠い昔になっていました。
人は案外、さよならを言わずに別れます。
駅のホームみたいに。
電車が来て、
それぞれ違う車両に乗って、
手を振ることもなく、
次に会うと思ったまま会わなくなることがあります。
でも、不思議と悲しいだけではありません。
あの日の海は、たぶん今もあの場所から見えています。
山頂のベンチも、たぶんまだあります。
風も吹いているでしょう。
誰かがコンビニの袋を提げて登っているかもしれません。
知らない誰かが笑っているかもしれません。
世界はそうやって続いていきます。
出会いも、
別れも、
引き継がれる景色の一部なのかもしれません。
人は誰かと永遠に同じ道を歩くためではなく、ときどき隣を歩くために出会うのかもしれません。
二駅ぶん先の低い山は、そのことを知っていた気がします。
だからあの日の景色を、ちゃんと覚えていてくれたのでしょう。
海も。
風も。
買いすぎたお菓子も。
私が忘れた会話も。
全部まとめて。
今日の目標は、「思い出を寂しさだけで数えないこと」。
会えなくなった人がいるなら、それはきっと、会えた人でもあったということです。
人生は出会いと別れを繰り返します。
まるで駅みたいです。
でも駅が好きなのは、別れがあるからではありません。
たくさんの出発があるからです。
さて、帰り道のポケットから、砕けたラムネの欠片がひとつ出てきました。
たぶんあの日の午後が、まだ少しだけ残っていたのでしょう。
あなたの人生で、印象に残った思い出をお聞かせください。楽しかったこと、不思議だったこと、ショックだったこと、怖かったことなど。その思い出をモチーフに、物語を生成して、このサイトに掲載します。ご協力いただけた方に、お礼にアマゾンギフト券 2,000 円分をプレゼントいたします。 ご興味ある方は、お問い合わせフォーム よりご連絡ください。あなたのご応募、お待ちしております。