作戦会議は午前二時から

子供のころ、部屋には「夜をやり過ごす係」がいました。

ベッドの端に座っている、耳の少し曲がったクマのぬいぐるみです。名前はたしか三回くらい変わりました。でも、どの名前の時も、そのクマは、ちゃんとこちらの味方でした。

家の中の空気がぴりぴりしている夜は、なるべく静かに呼吸をしました。廊下の足音とか、ドアの閉まる音とか、水道の音とか、そういうものを聞き分けながら、「今日はどのくらい危険か」を考えていました。子供なのに、天気予報士みたいなことをしていたんだと思います。

どうやら今夜の予報は、「大荒れのち沈黙」でした。

そういう夜は、毛布の中で作戦会議を開きます。

クマのぬいぐるみ、
片目の取れかけたウサギ、
空想上の友達の「ミロ」、
あと、天井のシミに住んでいるという設定の小さい宇宙人。

議題はいつもだいたい同じでした。

「どうやって朝まで生き延びるか」。

でも、不思議と会議は少し楽しかったです。

ミロは毎回、「いざとなったら月へ逃げましょう」と言っていました。かなり無責任ですが、声が明るかったので、なんとなく安心しました。

クマのぬいぐるみは基本的に無口でした。でも、何も言わず隣にいるのが上手でした。あれはたぶん、世界で一番重要な才能です。

私はよく、「大丈夫なふり作戦」を使っていました。

怒鳴り声が聞こえたら息を止める、とか、
足音が近づいたら寝たふりをする、とか、
泣く時は声を出さない、とか。

子供なのに、忍者みたいでした。

でも、本当は怖かったです。

怖かったし、
寂しかったし、
「なんで」が多すぎました。

だから、空想を使いました。

空想の中では、部屋のカーテンの裏に秘密基地がありました。押し入れの奥には異世界への通路があって、ランドセルの中には非常食のビスケットと、小さな勇気が入っていました。

現実は全然優しくなかったけれど、想像の中だけは、自分で世界を作れました。

たぶん、人は「逃げるため」だけじゃなく、「壊れないため」に空想するんです。

ある夜、ミロが言いました。

「いつかちゃんと、安心して眠れる夜が来ますよ」

その時は信じられませんでした。

そんな世界、窓の外よりもっと遠い場所の話だと思っていました。

でも今、大人になって、深夜にコンビニへ行けたり、自分で好きな毛布を選べたり、静かな部屋で眠れたりするたび、少し思います。

ああ、本当にあったんだな、って。安心していい夜。

いつのまにか作戦会議は開かれなくなりました。

月へ逃げる案も、
秘密基地の地図も、
毛布の中の緊急ミーティングも、たぶん終わりました。

ミロの声を聞くことも、
天井の宇宙人に相談することも、
クマのぬいぐるみに「今日は危険度どのくらいですか」と確認することも、少しずつ減っていきました。

現実の予定とか、
仕事とか、
スーパーのポイントカードとかが増えていくうちに、秘密基地はだんだん日常の奥へしまわれていきました。

ちゃんとサヨナラしたわけではありません。

ただ、会議室の電気が静かに消えて、そのままになっただけです。

でも、ときどき分かります。

夜中にひどく疲れて帰った日とか、
「もう無理かもしれない」が胸の近くまで来た日とか、
誰にも見せない場所で小さく傷ついた日とか。

そんな時、心の奥のほうで、

「とりあえず温かいもの飲みましょう」

とか、

「今日は生存優先でいきます」

とか、

「月へ逃げる案、まだ残ってますよ」

とか、

小さな声が聞こえる気がするんです。

だからたぶん、完全にはいなくなっていません。

空想の友達たちは、消えたというより、「心の地下に引っ越した」のだと思います。

夜が深くなると、ときどき分かります。

あのクマのぬいぐるみが、今もどこかで静かに座っていることを。

耳の少し曲がったまま、
何も言わず、
でもちゃんとこちらを見ていて。

昔みたいに毎晩会うことはなくても、非常灯みたいに、ずっと奥で点いている。

そしてたぶん、本当に限界に近づいた時、あの頃の「生き延びるために作った優しさ」は、もう一度こちら側へ戻ってきてくれます。

空想でも、
ぬいぐるみでも、
作り物でも。

「こちら側についてくれる何か」を、自分の中に作りながら、朝まで辿り着いていたんです。

さて、窓の外では雨が降っています。

部屋の灯りは静かで、毛布はちゃんと温かいです。

どうやら、あの頃の作戦会議は、ちゃんと成功していたみたいです。
だから今夜は、作戦チームの勝利を祝って、ぐっすり眠ろうと思います。


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