忘れもの案内所
秋の商店街には、ときどき「忘れもの案内所」が現れます。
もちろん地図には載っていませんし、市役所も把握していません。でも、季節が少しだけ人を感傷的にする頃になると、ふらりと現れるので、たぶん存在します。
その日も私は夕方の商店街を歩いていました。
空は薄い金色で、日差しはもう夏ほど強くありません。風は冷たくなる練習を始めていて、街路樹の葉っぱが、ときどき思い出したように一枚ずつ落ちていました。
焼き芋屋の軽トラックが遠くでゆっくり歌っていて、その声は町全体を少しだけ懐かしくしていました。
八百屋の柿は夕焼けをため込んだみたいに橙色で、本屋の前には来年の手帳が並んでいました。
どうやら今日は、「振り返るのに向いている日」らしいです。
そんなことを考えながら歩いていると、見慣れない店を見つけました。
小さな木の看板に、
「忘れもの案内所」
と書いてあります。
その下には、
「落ち葉のお問い合わせは隣です」
と注意書きがありました。
なんだか気になって扉を開けると、カラン、と小さなベルが鳴りました。
店の中は静かでした。
静かだけれど、寂しくはありません。
図書館の閉館前と、実家の夕飯前を半分ずつ混ぜたような空気でした。
棚にはたくさんの忘れものが並んでいました。
「運動会の日の全力疾走」
「初めて好きな人と話せた帰り道」
「根拠のない自信」
「なんとかなると思えていた頃の金曜日」
「まだ何者でもなかった頃の自由」
どれも小さなガラス瓶に入っています。
瓶の中では、それぞれが淡く光っていました。
値札はありません。
代わりに、
「思い出したらお持ち帰りください」
と書かれています。
店番のおばあさんは、窓際で銀杏の葉をしおりにしていました。
「何か探しものですか」
と聞かれたので、私は少し考えました。
財布もあります。
スマホもあります。
家の鍵もあります。
でも、最近なくしたものなら、一つ思い当たりました。
「なんだか、前より楽しみにするのが下手になった気がします」
おばあさんは静かにうなずきました。
そして奥の棚から、小さな箱を持ってきました。
箱には、
「まだ起きていない良いこと」
と書かれていました。
開けてみると、中には何も入っていません。
空っぽです。
「何も入ってませんよ」
と言うと、
「そうですよ」
とおばあさんは笑いました。
「未来ですからね」
なるほど、と思いました。
未来はたいてい空っぽの箱でやって来ます。
だから人は勝手に不安を詰めたり、心配を詰めたりするのですが、本当は楽しみを入れてもいいのかもしれません。
店を出るころには、夕陽が商店街の奥まで伸びていました。
八百屋は店じまいを始めていて、本屋では誰かが来年の手帳を買っていました。
空には早めの一番星が出ています。
せっかちな星です。
帰り道、風が吹いて、落ち葉が足元を転がりました。
それはまるで、季節がページをめくる音みたいでした。
秋というのは不思議です。
何かを終わらせる季節のようでいて、実は次の何かを始めるための余白でもあります。
今日の目標は、「まだ来ていない楽しみを一つ信じてみること」。
根拠はなくて大丈夫です。
春が来ることに理由がいらないように、楽しみも、ときどき先に信じた方が早いのです。
さて、ポケットの中には銀杏の葉が一枚入っていました。
たぶん案内所からの領収書です。あるいは、「これから先も悪くないですよ」という、未来からのしおりなのかもしれません。
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