小さな拍手とラーメン一杯

深夜の道を歩いていたら、街のはしっこに赤い光がひとつだけ浮かんでいました。

信号でもなく、月でもなく、誰かの忘れ物みたいにぽつんと光るラーメン屋です。

たぶん昼間なら見逃していたと思います。

でも深夜というのは不思議なもので、昼には見えないものが急に大切そうな顔をし始めます。

その赤い看板もそうでした。

「こちらへどうぞ」

とは書いていないのに、そんな気配だけを出していました。

私は吸い寄せられるように暖簾をくぐりました。

店の中には三人のお客さんがいました。

みんな静かでした。

静かだけれど、それぞれ何かを終えてきた顔をしています。

長い仕事とか。

言いそびれた言葉とか。

少しだけ残った後悔とか。

そういうものをポケットに入れたまま座っているようでした。

カウンターの向こうでは店主が麺をゆでています。

湯気が上がっています。

その湯気の中には、今日うまくいかなかったことが少しずつ溶けている気がしました。

ぐつぐつ。

ぐつぐつ。

失敗ひとつ。

反省ふたつ。

気まずさ少々。

最後に希望をひとつまみ。

たぶんこの店のスープはそうやって作られています。

ラーメンが運ばれてきました。

湯気が立っています。

まるで小さな温泉街です。

ネギが浮かび、チャーシューが眠り、メンマがのんびり暮らしています。

麺はその町を流れる黄色い川でした。

私は箸を持ちました。

するとスープの表面に小さな文字が浮かびました。

「今日もよくやった」

気のせいかもしれません。

でも深夜のラーメン屋では、気のせいも大切な情報です。

一口すすります。

おいしい。

二口目ですすります。

さらにおいしい。

三口目で、なぜだか少し笑ってしまいました。

昼間ずっと抱えていた問題が、急に巨大なラスボスではなく、町の雑貨屋くらいの大きさに見えてきたのです。

倒せなくても、また来ればいい。

そんな気がしました。

隣のおじさんもラーメンを食べています。

向かいの若者もラーメンを食べています。

誰も話していません。

でも店全体が静かな応援団みたいでした。

「大丈夫。」

「まあそのうち。」

「明日もなんとかなる。」

誰も言わないのに、湯気だけがそう言っています。

深夜には、ときどきこういう場所があります。

人生を変えるわけじゃない。

悩みを消すわけでもない。

だけど少しだけ温めてくれる場所。

冷えた手をポケットに入れるみたいに。

疲れた心をスープに浸すみたいに。

食べ終わるころには、赤い看板の光が来たときより少し明るく見えました。

外へ出ると夜風が吹いています。

空には星がありました。

ラーメンの湯気に押し上げられたみたいに、いつもより少し高いところで光っています。

そして私は思いました。

人生には、ときどき正解ではなく「うまい」が必要なのだと。

考えるのは明日でもいい。

今はただ、胃袋の中で幸せそうに眠る麺たちに拍手を送りましょう。

パチパチ。

深夜の世界では、それも立派な前進です。


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