雨やみ待合所
夕方の雨は、ときどき予定になかった気持ちまで連れてきます。
駅から家まであと十分というところで、空が急に思い出したように泣き始めました。最初はぽつぽつだった雨粒が、あっという間に本気を出して、道路も電柱も信号機も、みんなまとめて濡らしていきます。私は近くの自動販売機の屋根の下へ逃げ込みました。
そこは不思議な場所でした。
赤い缶コーヒー、青いスポーツドリンク、黄色いレモンスカッシュ。色とりどりの飲み物たちが並んでいて、まるで小さな水族館みたいでした。ペットボトルのお茶は落ち着いた顔をしていて、炭酸飲料たちは「人生、もっと泡立っていいと思うんですよね」と話しているようでした。
どうやら今日は、「少し立ち止まる日」らしいです。
道路の向こうでは、傘を持っている人たちが急ぎ足で通り過ぎていきます。持っていない人たちはもっと急いでいました。人間は雨に濡れると、だいたい二倍速になります。
私は温かいミルクティーのボタンを押しました。
ガコン。
飲み物が落ちる音は、いつだって少し頼もしいです。
取り出し口から缶を持ち上げると、じんわり熱が伝わってきました。その温度は、「全部うまくいかなくても、今日はここまで来たじゃないですか」と言われているみたいな温度でした。
雨はまだ強く降っています。
屋根の端から落ちる水滴は、小さなカーテンみたいでした。
向こう側の世界が少しぼやけて見えます。
街というものは、雨の日になると輪郭をやわらかくする癖があります。ビルも、車も、人の表情も、いつもより少しだけ曖昧です。
だからでしょうか。
普段は気にならないことが、ふと心に浮かんできます。
言えなかった一言とか。
途中でやめてしまったこととか。
返事を先延ばしにしているメールとか。
そういうものたちが、雨粒に混ざって静かに並び始めます。
でも不思議と、その日は責められている感じがしませんでした。
雨は案外、優しい聞き役です。
「それで?」
とも、
「どうして?」
とも言いません。
ただ隣に座っているだけです。
その沈黙のおかげで、人は少しだけ自分の話を聞けるのかもしれません。
ふと見ると、自転車置き場の屋根の上に一羽のハトがいました。
丸くなって雨をやり過ごしています。
びしょ濡れなのに、妙に落ち着いていました。
たぶんハトは知っているのでしょう。
雨の日の仕事は、前へ進むことではなく、雨がやむまで待つことだと。
それも立派な予定なのだと。
しばらくして、空が少し明るくなりました。
雨脚が弱まり、雲の隙間から薄い光がこぼれます。
道路には水たまりができていて、その一つひとつに小さな空が映っていました。
世界は、ときどき足元に空を置いていきます。
気づかず踏んでしまうこともありますが、それでも空は文句を言いません。
ミルクティーを飲み終えるころには、雨はほとんど止んでいました。
私は空き缶を捨てて、帰り道へ戻ります。
特別なことは何も起きませんでした。
悩みが解決したわけでもありません。
明日やるべきことも、そのまま残っています。
でも、胸の中の何かが少しだけ軽くなっていました。
たぶん人は、答えを見つけたときに元気になるのではなくて、
「まだ分からなくてもいいか」
と思えたときに、少し呼吸が楽になるのだと思います。
歩き出すと、水たまりが夕焼けを映していました。
その中の空は、現実の空より少しだけきれいでした。
さて、あの自動販売機には今日も飲み物が並んでいるでしょう。
もしかすると、一番下の段の目立たない場所に、
「休憩は遠回りではありません」
と書かれた缶が混ざっているのかもしれません。
もちろん売り切れの場合もあります。たぶん人気商品です。
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