良い子の天気予報
子供のころ、「正解」はいつも少し遠くにありました。
ちゃんと笑えばいいのか、
静かにしていればいいのか、
手伝えばいいのか、
消えていたほうがいいのか。
毎日それを考えていました。
天気予報みたいに。
今日は近づいて大丈夫な日か、
話しかけないほうがいい日か、
廊下の足音の強さで考えていました。
どうやら今夜の予報は、「曇り、ときどき、地雷」でした。
ある日、似顔絵を描きました。
色鉛筆を使って、一生懸命描いた顔です。
髪の色とか、
服の模様とか、
ちゃんと似るように頑張りました。
「喜ぶかもしれない」と思ったんです。
子供って、ときどき信じられないくらい素直なので。
描き終わったあと、少し照れながら渡しました。
でも、その紙はすぐ破かれました。
「気持ち悪い」
と言われながら。
紙が破れる音って、思ったより軽いんだなと思いました。
ビリッ、で終わるんです。
でも、その音はしばらく頭の中に残ります。
私はしばらく、「人を喜ばせようとして作ったもの」が怖くなりました。
ノートの端の落書きも、
図工の時間も、
「見てほしい」が入るもの全部。
なんだか危険な気がして。
でも、不思議なことに、それでもまだ「喜んでほしい」は消えませんでした。
子供の心って、かなり粘ります。
別の日、空になったシャンプーのボトルに、お湯を入れました。
親がやっていたのを見たからです。
たぶん、「まだ使えるようにする技」だったんだと思います。
だから真似しました。
ちょっと得意げだった気がします。
生活の知恵を覚えた気分でした。
でも、その日はめちゃくちゃ怒られました。
どうしてそんなことするの。
勝手なことしないで。
何考えてるの。
言葉が次々飛んできて、私は急に怖くなって、慌てて裸のまま布団に逃げ込みました。
布団の中は、子供専用の避難所でした。
狭くて、
暗くて、
少し息苦しいけれど、
外よりは安全な場所。
私は布団の中で泣きながら、それでもまだ、「お母さんは私のことが好きなんだ」と思っていました。
好きだから怒るんだって。
ちゃんとしてほしいから怒るんだって。
そう思わないと、世界の形が崩れてしまいそうだったので。
でも、しばらくして、布団ごと蹴られました。
「いつまでも泣いて、気持ち悪いんだよ!」
って。
あの時のことを思い出すと、今でも少し不思議です。
人って、本当に壊れそうな時、「悲しい」より先に、「理解しよう」とするんですね。
どうしてこうなるのか、
自分が悪かったのか、
何を間違えたのか。
子供の頭で、一生懸命説明を探していました。
たぶんあの頃の私は、「正解」そのものより、「怒られない方法」を覚えるのに必死でした。
空気を読む、とか、
機嫌を探る、とか、
音を聞く、とか。
子供なのに、ずいぶん高度なことをしていた気がします。
でも、本当はたぶん、ただ褒めてほしかったんです。
「ありがとう」とか、
「上手だね」とか、
「助かったよ」とか。
そういう、小さい言葉が欲しかった。
だから、似顔絵を描いたし、
シャンプーにお湯を入れたし、
なるべく良い子でいようとしていました。
夜になると、ときどき思います。
あの頃の自分は、ずっと「好きになってもらう方法」を探していたんだなって。
クイズみたいに。
でも問題文は最後まで配られませんでした。
だから、間違えるたびに、自分が悪い気がしていました。
最近になって、ようやく少し分かってきました。
子供は、本当はそんなに高度なゲームをしなくていいんです。
似顔絵を描いたら、
「描いてくれたんだね」でよかった。
シャンプーにお湯を入れたら、
「真似したかったんだね」でよかった。
たぶんそれだけで、世界はかなり違いました。
でも、あの頃の自分は、その少しを貰えなかった。
だから代わりに、自分の中に小さな味方を作っていたんだと思います。
「それ、悪くなかったよ」
って言ってくれる何かを。
さて、窓の外では雨が降っています。
テーブルの上には、色鉛筆と、描きかけのノートがあります。
今ならたぶん、あの頃の自分が描いたものを、自分で、ちゃんと受け取れる気がします。
どうやら今夜の天気予報は、「雨、ところにより、やさしさ」みたいです。
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